謎に満ちた半生を活写
父の蔵書の中に鈴木しづ子句集『春雷』(羽生書房、昭和21年2月刊)があった。B6判、92ページの小冊である。今は、私の書架にある。昭和20(1945)年師走に記された跋文(ばつぶん)中の「句は私の生命でございます」との言葉が妙に印象に残っている。後に「まぐはひのしづかなるあめ居とりまく」「娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ」「夏みかん酢っぱしいまさら純潔など」等の句によって物議を醸した俳人鈴木しづ子の第1句集である。
そんな俳人しづ子の実像を明らかにすべく、並々ならぬ情熱と努力を傾注して、大著としてまとめあげたのが、著者の川村蘭太氏。大正8(1919)年6月9日生まれのしづ子の実像が、著者が、しづ子縁(ゆかり)の平手湫子(しょうし)より入手した約7300句の句稿、そして妹正子(さだこ)、叔母でアララギ派の歌人鈴木朝子、あるいはしづ子を囲む矢澤尾上(おのえ)、宮崎素洲(そしゅう)等の俳人への聞き取り調査によって徐々に明らかにされていく過程、評伝文学の面白さを十分に満喫させてくれる。そんな資料の博捜と解読、聞き取り調査の過程の中で、著者は、左のごとき確信と自負に満ちた見解を示している。
しづ子を語りたければ、「樹海」(評者注・しづ子所属の松村巨湫(きょしゅう)主宰派俳誌)にそのすべてがある。つまらない彼女への「誤解」は、すぐに解けるはずだ。では何故(なぜ)、多くの俳句史家や評論家は、この単純な作業をせずに、彼女の「伝説」のみに触手を働かせたのか。それは、しづ子をそれ程の俳人であるとは思わなかったからだ。どこかで彼女の俳句を見くびっていたからだと思う。
従来、誰も繙(ひもと)くことのなかった「石楠」誌のバックナンバーをはじめとして、厖大(ぼうだい)な資料に目を通した著者にしてはじめて可能な言葉である。また、著者が発掘した7300句に対しては、しづ子俳句が「日常の出来事を赤裸々に描く句作法」であることを指摘、それら作品をも十分に活用しつつ昭和27(1952)年33歳までの謎に満ちたしづ子の半生を活写することに成功している。