もしも…、もしも世界に皇室や王室がなかったら、人々は今よりも粗暴で、倫理観に乏しく、ずっと我が儘であったことでしょう。
今よりも治安は乱れ、文化性が乏しく、ずっと無味乾燥とした社会であったことでしょう。
なぜなら、権威としての帝や王は、文明そのものであるからです。(月刊正論4月号)
最初の王の物語
権威としての王とはいかなる存在か--。
ひとつ、物語風にお話ししましょう。
最初の王は、単なる権力者でした。
集団の中で最も力が強く、頭も良く、運にも恵まれた者が、仲間を率いるリーダーとなったのです。
彼は、集団の中で最も大きな家に住み、最も美しい女を妻とし、時には別の集団と戦って富を増やしていきました。
しかし、単なる権力者である以上、老い衰えて力を失えば、別の者に取って代わられます。
王の子や兄弟が次の王になることもありましたが、せいぜい2~3代まで。本人に実力がなければ、権力の座は務まりません。
ある時、王は考えました。どうしたらこの地位を、自分の子や孫に引き継いでいけるかと。
そう考えたのは、王のエゴだけではありません。
権力の座が代わるとき、必ず多くの血が流れます。
そのため集団の力が弱まり、別の集団に攻め滅ぼされてしまうこともあったからです。
文明が未成熟な社会において、権力の平穏な交代=世襲の確立は、集団を守っていく上で必要不可欠でした。
ある日、王は言いました。
自分は神の子孫(あるいは神の命を受けた者)であり、王の地位は神から与えられたものだと。
そして、集団の中から頭の良い者が呼び集められ、王と神々を結ぶ物語がつくられました。
また、集団の中から手先の器用な者が呼び集められ、神の子孫が身につけるにふさわしい装飾品がつくられました。
文明の萌芽です。
集団が拡大するにつれ、王の物語はますます普遍的に、かつ文学的になっていく。王の装飾品もますます精巧に、かつ芸術的になっていく。
王国の拡大と文明の進化は、相関関係にあると言えるでしょう。
いつしか王は、天子とか皇帝とかと呼ばれるようになる。
実際の政(まつりごと)を行う権力者としてだけではなく、神々に近い権威者として広く認められるようになる。
もはや、力が強いというだけでは、別の者が天子(あるいは皇帝)に取って代わることは出来ません。
そこで、比較的小規模の集団の王などは、天子に貢ぎ物を差し出し、臣下の礼をとることで、自らの地位と領地を保持するようになります。
また、天子や王の親族、功績のあった家臣などが領地を分け与えられることもあります。やがて、一人の天子を中心として、何人もの諸侯が地方で覇をとなえ、独自の文化を築いていく。封建時代の始まりです。
騎士道と武士道
この封建時代が、人間と文明に与えた影響は計り知れません。
天子は諸侯に、諸侯は家臣に、家臣は民衆に、恩恵を施します。
一方で民衆は家臣に、家臣は諸侯に、諸侯は天子に、忠誠を誓います。
騎士道、あるいは武士道の概念が確立し、人間の行動を律するようになる。損得勘定で動くのではなく、大義を重んじよと教える。道徳です。
最初に封建制がとられたのは、中国の周王朝(紀元前1046年~紀元前256年)だと言われます。
今、中華文明と呼ばれるものの大半は、この周王朝の時代に生まれました。
孔子も孟子も、この時代の人です。
ただ、その後に封建制が発展したのは、ヨーロッパと、日本だけでした。
中国では秦の始皇帝が中央集権の絶対帝政を敷き、以後の王朝もそれに習いましたので、封建制とは言えません。
周王朝の頃に飛躍的に進化した文明も、いつしか停滞してしまいます。
一方でヨーロッパと日本は封建制の下、独自の文化を発展させていったのです。
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