☶山落語。落ちさふで落ちなひ山落語。
戦前は、まだまだ農業と林業で、薩摩半島の、真ん中の村でも、それなりに結構沢山の方々が暮らしておられた。いま、◎臨界点(電気、水道、ガスなどギリギリ生活できる場所)多し。また高齢者が多いのも特徴。
戦前は、まず個人の家には、ラヂオは、無かった筈(除く高額所得者)。
そこで夏休みは、尋常小学校の講堂で、落語家や講談師、手品師なんぞを招いて、村中のみんなで、それを楽しんでいたみたひだ。
落語、講談、浪曲、やっぱり上方藝人がおおかったけれど、鹿児島縣にも、落語家は居られ、落語で生活できたみたひだ。
いまでも2~3人は、鹿児島の落語家は、居られますぞ。ただし、みんなTVタレントだけどね。
戦前も今も、鹿児島に、寄席や演藝場があったとは、聞かなひなぁ。
夏場は、落語家さんたちの稼ぎ時。山ん中の小学校に呼ばれ、夜、講堂で村の衆に怪談噺を、ぶったのです。なにせ、TVもラヂオもパソコンも、スマホもなひ。みなさん熱心に聞かれたことだらふ。
特に最前列に座ってゐる、をとこの子は、イガグリ頭にどんぐりまなこ。無論、着物で裸足。
熱心に、落語家さんに見入り、聞き入ってゐる。噺も佳境、おとしどころ。
「げに、怖ろしきは・・・・、ひとの怨念ぢゃ~っ!!」きゃ~っ!!と、をなご衆は、悲鳴を挙げる。落語家さんは、会心のほほえみ。それをまた最前列のおとこの子は、ヂッと下から見上げてゐるのです。
また夏が終はり、次の夏休みが来ました。またまた、お題目は「怪談噺」。いまみたいに、コンビニに稲川淳司のDVDは、ありません。噺もすすみ、クライマックスへ。
「げに、おそろしきは・・・・ひとの~」そのときです!その最前列のおとこの子は姉や妹たちを庇(かば)ふやふに立ち上がり、落語家に「オンネンぢゃっどが~!」と叫ぶのです。
「ち、違(ちご)ど!」「ひ、ひとの妄念ぢゃ~っ!!」。
また夏がきて、落語家さんは、小学校へ。するとまた、そのぼうずが、最前列にすわってます。
また噺は進み、最後のおとしどころへ。「げに、おそろしきは、ひとの・・・、」するとまた、そのをとこの子が立ち上がり、落語家さんに叫ぶのですよ。
「オンネンやーっ!? モウネンやぁ~っ!!?」。こりゃマィッタ!!
「げに、おそろしきは、ひとの残念ぢゃ~ぁっ!!」。
葉月 きのとうし日 山の日 ほんまそうかい記